紫門ふみがあさイチに出演!「東京ラブストーリー」の漫画家、乳がんとの闘い

 

こんにちは、レモンです。

漫画家・エッセイストとして活躍中の紫門ふみさんです。

2019年10月18日(金)  8時15分~9時55分  放送の

あさイチ「プレミアムトーク 柴門ふみ」

『東京ラブストーリー』を生んだ漫画家の紫門ふみ▽40代・3人の母の恋を描いた『恋する母たち』がヒット中▽「女の愛の底力」を描き続けたい理由▽乳がんとの闘いの日々

に出演されます。

そこで、紫門ふみさんについて調べてみました。

紫門ふみさんのプロフィールと経歴

生年月日: 1957年1月19日

現年齢:  62歳

出身地:  徳島県徳島市

身長:  不明

体重:    不明

配偶者: 弘兼憲史(漫画家)

紫門ふみさんは、徳島県徳島市出身です。

小さい頃よりより漫画を描くことが大好きだったそうです。

一条ゆかりさんの「デザイナー」などに影響を受けたそうです。

高校卒業後、お茶の水女子大学文教育学部哲学科に入学します。

漫画研究会に所属し、同人誌を精力的に発表したりしました。

この時期から弘兼憲史さんのアシスタントを務めていたそうです。

あまり絵が上手ではなく、当初は炊事係を任されていたとのことです。

漫画家

漫画家として活躍しています。

学卒業後の1979年、

「少年マガジン増刊号」で「クモ男フンばる!」でデビューします。

紫門ふみさんは当初「カンダタ白書」というタイトルを考えていたそうです。

しかし、担当編集者の思い付きで「クモ男…」に無理矢理変更されたそうです。

1981年、連載を開始した学園ロマコメ漫画 「P.S. 元気です、俊平」で

人気漫画家となります。

紫門ふみさんは、女性青年漫画家の草分けの一人となります。

恋愛のエキスパートとして、「恋愛論」など女性向けのエッセイの著書も多数あります。

特に「恋愛論」は恋愛の教科書と絶賛されます。

全4巻で250万部以上を売り上げた「東京ラブストーリー」、

1991年にフジテレビでドラマ化されます。

大ヒットしました。

紫門ふみさんの代表作であるだけではなく、

1990年代以降のの大きな流れとなったトレンディドラマの中核作品となったのです。

病気

2010年、乳がんが見つかるのですが、

2007年、区の健康診断の時に、

封筒を渡され家で開いた結果「再検査を要する」との用紙があったそうです。

乳腺専門の病院で検査をしたところ、

右胸に白い影が映ったが、触診や超音波検査では異常が見つからなかった。ということで、

様子を見ることにしたそうです。

が、

2010年、乳がんが見つかるのです。

「去年映っていなかったものが映っていますね」

 2010年の検診で、医師の言葉にはっとした。マンモグラフィー(乳房エックス線撮影)では、それまでの検診で影が映っていた右胸に変化はなかった。ただ、左胸に白い点がぽつんとあった。「机に胸をぶつけて内出血したりして映ることもある」と医師に言われたが、嫌な予感がした。

 細胞を採取して異常を調べる「細胞診」をした。検査結果が出るまでの2週間は、とても長く感じた。当時、連載を抱えており、漫画を描いている時は没入できた。でも、朝起きた時や仕事が終わって過ごす夜は、「大丈夫、大丈夫」という思いと、「もう死ぬんだ」という悲観する気持ちが交互にわき上がり、心が揺れた。漫画家という職業柄か、想像はとめどなく広がった。

 検査結果がわかる日は漫画の締め切りの日だった。病院に行けず電話した。医師の息をのむ音がして「がん細胞が見つかりました」。手術を勧められた。落胆はしたが、3年前、乳がんについて“予習”していた。「やっぱり」とさほど驚きはなかった。

 手術までの間、気持ちを落ち着かせるため、山田風太郎の「人間臨終図巻」を手に取った。偉人や著名人の最期が年齢ごとに収録されている。「どんな英雄も、天才も、皆死んでいる。そんなもんだろう」。そう思うことが出来た。

乳がんの宣告を受けてから約1か月後。53歳の時に左胸の腫瘍と周辺部を切除する手術を受けた。

 無事手術を終えても、腫瘍の病理検査の結果が分かるまで気持ちは晴れなかった。結果次第でその後の治療方法が決まる。「もしがんが進行性のものだったら……」。手術の翌日、お見舞いに来てくれた長女が帰った後、一人の病室で思った。「描きたいものは描いたし、もう死んでもいいか」

 テレビを見ると、バラエティー番組だった。カラオケで、お笑いタレントのいとうあさこさんが「我ら柴門世代! イエイ!」と、ZIGGY(ジギー)の「GLORIA(グロリア)」を歌い出した。自分の漫画をドラマ化した「同・級・生」の主題歌だ。「私のことを覚えていてくれる人がいた! こういう人のために頑張ろう」。生きる気力がわいてきた。

 病理検査で、薬物治療が有効なタイプのがんだとわかった。摘出された腫瘍は4ミリで、傷痕もほとんど目立たなかった。退院して約1か月半、放射線治療を行い、5年間、薬を1日1錠服用するホルモン療法を続けた。

 ホルモン療法で1年が過ぎると、気分が落ち込んだり、冷え性がひどくなったりした。血圧が急激に下がり、友人と外食中に救急車で病院へ運ばれたこともある。つらい治療を支えたのは新しい「家族」だった。

ホルモン療法は5年続いた。支えてくれたのは、愛犬のリンコだ。

 2013年12月、夫で漫画家の弘兼憲史さんが生後3か月のコーギー犬をプレゼントしてくれた。朝夕、近くの公園へ散歩に連れて行く。手術の日は出張していて、入院中も1度しか見舞いに来なかった夫がくれた「気まぐれな贈り物」。おかげで、早寝早起きの習慣ができた。

 治療は15年に終わったが、今も年1回、マンモグラフィー(乳房エックス線撮影)の検査に行く。普段はがんを忘れていても、その日になると緊張する。「一生気をつけていくしかない」。この日はご褒美の日だ。買い物に行ったり、高級なおすしを食べたりと、楽しむようにしている。

 がんを公表したくない時期もあったが、「検査で初期のうちに発見できたことを多くの人に伝えられたら」と今は思う。「私もよ」と打ち明けてくれる友人も。同じ体験をした人がいることで安心できた。

 仕事には優先順位をつけた。体力を使う漫画連載は今しかないと思い、温めていた大人の女性の生き方がテーマの「恋する母たち」=女性セブン(小学館)で連載中=に取り組む。「若い頃には見えなかったものが、ようやく描ける」と感じている。

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現在の活動

漫画などを中心に活躍しています。

まとめ

漫画などを中心に多彩な分野で活躍中の紫門ふみさんです。

今後どのような形で力をみせてくれるか楽しみです。

紫門ふみさんの今後の活躍に注目していきたいです。

最後までお読みいただきありがとうございました♪

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